みっちゃんと旅行に行って思ったこと
先週、みっちゃんと2人で温泉に行った。
女友達と2人だけで旅行って、果たして何年ぶりだろう。もう記憶にないくらい。
勢いで行くことになったけど、正直緊張してた。
私は女友達が苦手だ。と思っていた。
もともと友達は多い方じゃないけど、それでも気の合う友人とは問題なく付き合えた。
高校、大学、社会人になっても。
それなのに、友達がいない、苦手だと思い込んでいたのはなぜなのか。
多分、わかちゃんという存在が私に苦手意識を強烈に刻み込んだんだな。あと、職場のおばちゃんたちがつるんでしょうもないこと言い出すもんで、女同士が集まるとロクなことないって、男目線を身につけたのかも。
あとは、母が友達同士のような親子関係を目指していると言いだしたことが記憶にあって、それは困るのでそもそも女同士ではいられないと思っていたのかもしれない。
私にとって気が合うというのは、信頼できる、信用できるということだ。
自分のことを話しても、むやみに批判したり、同情したりせず、噂話のネタにもしない、安心感があるということだ。
そしてそれは、うまく言えないけど感覚で判断している。これまでの経験からの感覚なので、信頼できる感覚だと思っていいはずだ。
自分が安心できる相手であれば、男性でも女性でも親しく付き合えばいい。嫌な人なら無理に付き合わなければいい。当たり前のことなのだが、意外と忘れていたようだ。
さて、旅行。
恐れていたより問題なく過ごすことができたし、自分のことも色々と話すことができた。思っているだけだったこと、プライベート過ぎてなかなか人に話せなかったことを、言葉にして他人に聞いてもらうというのは、自分が望んでいたことでもあったし、期待通りすっきり感があった。
悲しかったこと、悔しかったことも笑い話で話せる、愚痴レベルで話せるということは、その程度の問題だということかもなと思えた。
結局今幸せってこと。
それから、私がずっと母にこだわってることも、なんだかすごく幼稚なことのように感じた。話してみれば、どこの家庭でもあることで、確かに私のメンタルに大きな影響を与えていることは間違いなくてこれからも巻き込まれないように注意が必要なんだけど、そのことをいつも意識し続けるのは、どうなんだろうと。無意識になれるのが一番いいし、ジトジト考えて恨み続けるより、さらっとなれるほうがいいなと。
お母さんがこんなだったから私は今もこんな問題児なんだって、そこにあえてしがみつく必要あるのかな。例えお母さんのせいであっても、今の自分をどうするかは自分の問題なんだよね。
なんか、自分がすごく幼いなあと思ったのでした。
いい機会だったと思う。
職場では個人的なことを話す相手なんかいないし、唯一付き合いの続いている友人には月一くらいしか会わないし、よく考えたら私、ほとんど相方としか話してない。
ずっと同じ人としか話さないと、なんか行き詰まるというか、結局その人の価値観としかすり合わせができないから、苦しくなるのは当たり前だよね。
やっぱりいろんな人と話す機会を持ちたいなぁと思ったのでした。
今回のまとめ。
私は女友達が苦手じゃない。仲良くできます。
私がこだわっていることは、なんだか幼稚みたい。この気づきは、チャンスかもよ。
自分のことを安心して話せる人を見つけよう。